介護職に就いている親子に
インタビュー
仕事仲間であり、理解者であり、
親子である。
介護職をめぐる2組の家族の物語
富山県氷見市
※写真左から
介高橋 流奈さん(21歳)
富山県滑川市在住。 特別養護老人ホーム清寿荘勤務。介護福祉士。
高橋 春奈さん(44歳)
富山県滑川市在住。 上市老人保健施設つるぎの庭勤務。介護福祉士。
中尾 到さん(50歳)
富山県氷見市在住。 NPO法人ヒューマックス グループホーム宮田の家勤務。管理者。介護福祉士。
中尾 輝さん(28歳)
富山県氷見市在住。 NPO法人ヒューマックス グループホーム島尾の家勤務。介護福祉士。
中尾 綾さん(29歳)
富山県氷見市在住。 NPO法人ヒューマックス グループホーム堀田の家勤務。介護福祉士。
介護職として慕われる父の姿が 介護の道へ導いてくれた
─皆さんが介護職に就いた経緯を教えてください。
中尾 到私が27歳の時、いとこがNPO法人ヒューマックスを立ち上げたんです。私は当時建築現場で働いていて、30歳までには安定した仕事に就きたいと思っていたので、「社会ニーズが高く収入も安定している」と誘われて決断しました。放課後や夏休みは子どもたちを職場のグループホームに連れて行き、同僚や利用者さんたちにずいぶん可愛がってもらいました。うちの子たちはみんなに育ててもらったようなものです。
中尾 綾グループホームで働く父は家で見る父 とは違っていて驚きました(笑)。職員さんや利用者さんからすごく頼りにされて、職人時代よりも地に足が着いた感じになっていて、介護を通して父も変わったんだな、良い仕事に就いたんだな、と子ども心に感じました。だから中学生になって進路を考えた時、介護職に目が向いたのは自然なことだったかもしれません。父や祖母がいつか歳を取った時に何もできないのは嫌だったし、たくさん愛情を注いで育ててくれた人たちへの恩返しにもなると思ったんです。
中尾 輝僕はもともと子どもが好きで、保育が学べる高校に進学しました。でも3年生になって迷いが生まれ、父に相談したら「福祉の道も考えてみたら」とアドバイスされたんです。僕もグループホームで父がみんなに慕われる姿を見ていたし、子どもの頃の楽しい思い出があったから「やってみよう!」という気持ちになれました。
介護職の夢をかなえた母は キラキラ輝いていた
高橋 春奈私は中学生の時にデイサービスのボランティアに参加し、お年寄りと関わる仕事っていいなあと思い始めました。周りは美容師や保育士を目指す友達が多くて、介護職志望は私ひとり。いろいろな人から「ほんとにいいの?」と言われたけど気持ちは変わらず、介護福祉専門学校に進学しました。学生時代に授かり婚をして一時は介護職を諦めたんですが、義母のつてで特別養護老人ホームに入職。働きながら介護福祉士の資格を取得しました。
高橋 流奈私が通っていた小学校は母が働く特養と交流会を行っていて、私もよく訪れていました。お年寄りに寄り添う母はキラキラしていてすごく素敵で……私自身おばあちゃん子でお年寄りと話すのが好きだったこともあり、介護職に就きたいと思うようになりました。実は今の職場は、母が介護職のキャリアをスタートさせた特養なんです。これも何かの縁かもしれないですね。
子ども心に感じていた介護職ならではの大変さ
─介護職として働く親御さんの姿は、お子さんたちの憧れだったんですね。
逆に大変そうだと思ったことはありませんでしたか?
中尾 輝介護職はまとまった休みが取りにくいので、家族で 遊びに行く時はシフト調整が大変そうでしたね。でも僕や姉はホームで過ごす時間がすごく楽しかったので、家族旅行ができなくても気にならなかったですね。お正月に餅つきをしたり、父が作った巨大な樋で流しそうめんをしたり、たくさんの思い出を作ってもらいました。
中尾 綾介護の現場は24時間365日営業なので、今思えば大変だったでしょうね。夜勤明けで運動会や授業参観に駆けつけてくれることもありました。一晩中利用者さんを見守ったり、感情をコントロールできない利用者さんに対応したり、自分も介護職に就いた今、常に気を張っていた父の大変さがよくわかります。
高橋 流奈確かに、認知症の影響で感情や体の動きを抑制できない利用者さんは多いですね。今は理解できるけど、子どもの頃は母が腕にあざをつけて帰ってくると「つらそうやな、嫌やな」と思うこともありました。
働き始めて実感した父のすごさと頼もしさ
─親子で同じ介護の道を歩む今、どのようなことを感じていますか?
中尾 輝介護の仕事は入浴や排泄の介助が大変だと思われがちだけど、むしろ大変なのは利用者さんの 安全を守ること。転倒による骨折は寝たきりにつながってしまうので、常に目が離せません。その点父は一人ひとりに目配りしながら利用者さんの笑顔を引き出し、職場全体の雰囲気をやわらかくする力があるんです。一緒に働き始めて父のすごさを実感しました。利用者さんから「あんたがおってくれてよかったわ」などと言ってもらえると、少しは父に近づけているかな、とうれしくなります。
中尾 綾利用者さんやご家族に感謝されるのもうれしいけど、自分の介助によって利用者さんに良い変化が生まれ、いきいきと自分らしく過ごしている姿を見るのが大きな喜びです。「相手の気持ちになって考えなさい」という父の教えを実践するように心がけていますが、お年寄りの気持ちを尊重した言葉がけって意外と難しくて……。そんな時は父に相談したり、愚痴を聞いてもらったりできるのでありがたいですね。同じ目線で一緒に考えてくれるし、的確なアドバイスをもらえて、改めて父を尊敬しています。
中尾 到こわくさい(生意気な)こと言うとるな(笑)。3人それぞれ勤務先は別ですが、職員さんも昔から子どもたちを知っているので、ふたりの働きぶりをこっそり教えてくれるんです。最近は知識と経験が蓄積されてきて、利用者さんに上手に対応しているらしく安心しています。
介護の現実に戸惑う娘を母は見守り続けた
高橋 流奈私は母から「大変な仕事だよ」と何度も言われていたけれど、ずっと聞き流していたんです。でも短大に入って実習が始まると「これが言っとったことか!」と痛感しました。認知症の影響で感情を抑制できない利用者さんの言動に動揺したり、「私が悪いんかな」と自分を責めたり……思い描いていた介護とのギャップに戸惑い、つらくて何回も泣きました。働き始めて徐々に仕事が楽しいと思えるようになった今、「お母さんは本物やったんや!」と実感しています。
高橋 春奈娘が介護職志望と知った時はうれしさの反面、大丈夫かな?と思ったのも事実です。実習中や入職後しばらくは家で泣くことが多くて、続くかどうか心配でした。でも気づいたら2年経ち、最近は同じ介護職としての相談が増え、自分の意見も言えるようになってきました。これなら大丈夫そうだと一安心です。
迷った時には誰かに話してみよう。
壁はきっと乗り越えられる
─若手の皆さんから、介護職に興味がある中高生へメッセージをお願いします。
中尾 輝保育士から介護職へ進路変更した時は悩みましたが、両親や先生、友人などにありのままの思いを話すことで気持ちが定まっていきました。もし迷っている人がいたら、身近な人にどんどん話してみることをお勧めします。
中尾 綾介護はきれいごとだけでは済まない仕事だし、つらいこともたくさんあります。でもそれ以上に楽しいこともやりがいもたくさんあるし、何でも話せる父や弟の存在が大きな励みになっています。介護職に興味がある人にはぜひチャレンジしてほしいし、親御さんには一番身近な理解者になってほしいと思います。
高橋 流奈ほとんど発語がない利用者さんから「ありがとう」と言ってもらえた喜びは、言葉で言い尽くせないほどでした。実習で心が折れそうになったけれど、諦めないで続けてよかったと思います。介護に取り組む中で壁にぶつかることもあると思いますが、乗り越えたらきっと良いことが待っています!
介護業界は進化している。
子どもの夢を応援してあげてほしい
─親世代のおふたりから、介護職志望のお子さんをお持ちの保護者へメッセージをお願いします。
中尾 到私が転職した頃は介護保険制度が始まったばかりで、男性の介護職も少ない時代でした。「大丈夫か?」と心配する人も多かったけれど、数年経つとその人たちから介護の相談を受けるようになり、人の役に立てたという実感が湧いてきました。介護職はネガティブなイメージを持たれがちですが、社会的貢献度が高く、賃金アップに向けた取り組みも進みつつあります。もしお子さんが介護職を目指すなら、親御さんは誇りに思って応援してあげてほしいですね。
高橋 春奈最初は給料が安いのはどんな仕事も同じこと。経験を積んで資格を取得し、仕事で認められれば結果はいずれついてくるものです。そして介護職にはお金に代えがたいやりがいがあります。お年寄りとふれあう時の血の通った温かさ、「あんたなんか要らんっちゃ!」と拒絶していた人が「あんたに来てほしい」と言ってくれた瞬間、この仕事でしか味わえない喜びです。介護職の表面的なイメージに惑わされず、お子さんの夢を全力で応援してあげてほしいと思います。